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「俺はアンタなんか嫌いだ」
宮城の留守中にこっそり抜いた『先生』の写真を見ていると、幸せそうに笑う女性にたいして俺の心は嫉妬でどす黒く染まっていく。
こんなことしている自分に嫌気がさしていることは事実だが、それでも何かと対抗心を燃やしてしまう。
絶対に勝てないとわかっている相手。
今まで成績でも運動でも負けたことの無い俺にとってははじめての敗北だった。
「宮城の心をこれ見よがしに全部持って行きやがって……」
怒りに任せてぎろりと睨む。
けれども当然のことながら、写真の中の女性はたじろぐことなくこちらに笑いかけている。
その笑顔に、お前は勝てっこないよと言われているようで無性に腹が立ってきた。
「水でもぶっかけてやろうか。それとも、ぐしゃぐしゃにしてゴミ箱につっこむか……」
今の俺なら写真のアンタになんかなんでもできるんだからな、と話しかけるが、返事は無し。
「…………」
誰も見ているわけでないが、あまりの子供っぽい言動と行動に我ながらいたたまれなくなる。
写真を放り出してフローリングの床に寝転ぶと、目に入った時計は午後11時を少し回ったところだった。
「宮城、帰って来たかな……」
隣室の国文学部教授は、研究熱心が行き過ぎて朝帰りなどということもよくあるのだ。
もしかしたら、ゼミの生徒達と飲んでいるのかもしれない。
「あの助教授と一緒じゃねーといいけど」
第一印象が悪かったせいか、俺は未だにあの助教授とはわかりあえていない。
宮城はからかって遊んでいるだけだ、と言っているが、恋人が抱きつくほど気に入っている部下と四六時中そばにいると聞いて不安にならない奴がいたらおかしいだろう。
「……何も音はしてないな」
壁に耳を当ててみるが、防音されているため物音は聞こえない。
一点集中型の俺は、一度気になってしまうとそればかりが頭から離れない。
まだ帰ってこないのか。
今日は帰ってこないのか。
……それとも、もう帰ってこないのか。
「そんなことはないだろ。自分の家だし」
でも、万が一が無いとは言い切れない。
もともと、それほど荷物も持ち合わせていない宮城のことだ。部屋さえ見つかればいつでもでていける状況ではある。
最初からすべて一方通行なのだ。
押しかけているのも、追いかけているのも、……好きなのも。
まだそうと決まったわけではないのに、頭の中の宮城は「じゃーな!」なんてさっさと荷物をまとめはじめている。
「宮城の……ばか……」
しん、と静まり返った部屋の中で聞こえた自分の声は、いつになくかぼそかった。
『心配してないで見に行ったらどう?』
突然、悶々と悩んでいる俺の頭の中の霧を晴らすかのような、凛とした声が響いた。
「え……?」
慌ててあたりを眺めても俺以外の人影は無く、俺は自室に一人だった。
俺、一人……だよな?
あまりの驚きに頭の中が真っ白になる。
そんな俺にはお構い無しに『声』は、話しかけてくる。
『心配なんでしょ?宮城のこと』
「ま、さか……」
放り投げた写真を眺めると、『気づくのが遅い!』と被写体の女性が怒ったように言った。
『アンタにいっつもいっつも一方的に文句言われてるこっちの身にもなりなさいよね、ホント』
やれやれと肩をすくめるその人は、確かに『先生』だった。
「え、アンタ、宮城の……」
『そう。宮城の高校の教師よ』
っても、もう十数年昔の話だけど、と彼女は懐かしそうに笑った。
「もしそうなら、もう死んだんじゃ……?」
『死んだわよ?でも、今日ってほら、お盆でしょ?だから、神様が今日一日だけ話せるようにしてくれたってわけ』
そういわれてカレンダーをみると確かに一般的にお盆と呼ばれている期間を指していた。
「それじゃ、さっきまでの俺の独り言とかそういうのも……」
『水に入れるだの、まるめてゴミ箱に捨てるだの……。宮城はどんな教育してんだか』
「宮城は関係ない。アンタの方こそ、返事もしないでいるんだから一緒だろ」
売り言葉に買い言葉で、応じると彼女は整った顔を怒ったように歪めた。
『まったく、可愛くない子ね』
こんな子のどこがいいんだか……とじろじろ俺を眺める『先生』を握りしめたまま、俺はドアの方へと歩き出す。
『ちょっと、どこへ連れて行く気?』
「隣の部屋。さっきアンタに言われたように「心配だから、見に行く」んだけど?」
俺は靴を履きかえながら、抗議の声を上げる『先生』を軽く挑発してやる。
何か言い返してくるかと思ったが、意に反して『先生』はゆっくり深呼吸をして静かに口を開いた。
『行くのなら一人で行きなさい。……私は宮城とはもう会えない』
それだけ言うと、『先生』は悲しそうに目を伏せた。
その姿に出会ってすぐの頃の宮城が重なる。
ちゃらんぽらんのようでいて、ふとした瞬間に誰も寄せ付けないほど自分の内面に深く沈みこんでいるときがあった。
話しかけても上の空で、時々痛みを我慢するように笑っていた。
今ならわかる。
あれは、痛かったんじゃない。
……悲しかったんだ。
はじめて出会った運命の人。
その大好きな『先生』が亡くなる、なんて。
俺なんかには計り知れないほどの悲しみが内包されている。
そこまでわかっていながら、『先生』の代わりが出来ない自分が歯がゆかった。
「なんでだよ?宮城はアンタが大好きだったんだ。好きで好きで忘れられなくてどうしようもなかったんだ!」
大事な教え子なら会ってやるのが教師だろ!と言っても、彼女は黙ったまま首を横に振るだけだった。
『わかるでしょ?私はもうこの世には存在していないのよ。死者が生きている人間と関わりを持つとロクなことは起きないの』
「でも……っ!」
『それに、もう時間だわ』
いわれて時計を見ると、ちょうどあと少しで12時になるところだった。
この人を、宮城に会わせなければ。
そう思ったらいてもたってもいられず、俺は履きかけの靴に足を押し込み急いでチェーンを外して外に出た。
『ちょ、ちょっと!』
慌てふためいた『先生』の抗議の声が聞こえるが、構わずに隣の部屋へ走る。
「もう少し、もう少しだけでいいから!」
俺なんかじゃなくて、
宮城に、
宮城に会ってください――。
『ありがと、ごめんね』
部屋のノブに手をかけた瞬間、手にした写真から小さく『先生』が謝る声がした。
続き
<11/07/28>
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