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「ご飯は冷蔵庫入ってるからチンしてね!コーヒーはお湯沸いてるから作って!じゃ、いってきまー……」
締め切りを終えた頭になんとか聞こえた美咲の声は、大慌てで飛び出した反動で閉じたドアの音にかき消された。
毎月のこととはいえ、締め切り後の朝ほどいつまでも寝ていたい時は無いだろう。
ベッドからゆっくりと上半身を起こすと、そばにあったクマを脇において通り道を作った。
寝室のすぐ近くにある窓に近寄って下を見ると、エレベーターから飛び出した美咲が管理人に律儀に挨拶をしているところが見えた。
「いってらっしゃい」
バタバタとマンションから走っていく背中に小さく挨拶をしてから、キッチンに向かった。
朝と昼は大学、夕方はバイトのある美咲は日によって帰る時間もまちまちなので、自宅で仕事をする自分にとっては一日で美咲のいない時間は結構長い。
大抵は次回作の打ち合わせやプロットを考えたり、資料を集めたりして一日を過ごしているので、家に人がいないという環境も苦ではないが、それでもどことなく家が広いように感じるときもある。
「美咲がいる時は全然そんな気がしないのにな……」
綺麗に掃除されたリビングのソファーに座ってコーヒーを飲みながら物思いにふける。
美咲がいる時といない時。
最近の日々の時間はその二種類に分割されてカラーとモノクロに色づけられる。
塗り絵みたいにモノクロの世界が、美咲が走って、笑って、怒るとその周囲を中心に色がつく。
どうして美咲はそんなことができるのか。
その答えを探し続けたら、これが恋なんだと気がついた。
それなら孝浩の時はどうだったのか。
孝浩と一緒の学生時代は……。
思い出そうとしてももうほとんど思い出せないことに気がついた。
あんなに好きだったはずなのに。
そういえば、美咲と暮らす前はどうやって生活していたのだろうか。
あるいは、もっと昔は――……。
「年を取ると昔の事を思い出せなくなるというが……」
健忘症というには自分がまだ早い年齢だということはわかる。
飲み残していたコーヒーを飲み下すと、空になったマグカップが目に入った。
これも以前マグカップを不注意で割った時に、美咲がクマの絵がついているからと買ってきてくれたものだった。
『ウサギさん、クマ好きでしょ?良さそうなの選んできたからもう割らないでよ!』
尖った口調だけれど、俺だけを思って口にされた言葉。
あたたかい叱られ方をされたことのない俺にとって、それはいつもひどく嬉しい。
熱いコーヒーがかかったら危ないだろ。
マグが割れて破片が刺さったらどうする。
その代わりに、大好きな絵柄にしといたからね。
大切な人が、ヤケドしないように、指を切らないように、そして、少しでも喜んでくれるように――。
「……なんて、どうせ微塵も意識してやってはいないんだろうけどな」
それでも、無意識下で愛されているのだろうとつい自惚れてしまう。
「そんなお前が好きだよ」
俺の事を考えてくれる美咲が好き。
無条件で無償で愛情をくれる美咲が好き。
俺には出来ないことをしてみせて。
お前が言えない言葉ならいくらでも口にするから。
続き
<11/08/04>
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